みんな違う、それでいい

10年以上前、アメリカにいた頃、10月の終わりになるとハロウィン一色だった。家の屋根には大きな黒いクモがいてクモの巣が張り巡らされ、大きなカボチャが笑っていた。オレンジと黒の雑貨が家々に飾られる季節だった。店には仮装のグッズが並び、今年はどんな衣装にする?と頭を悩ませたものだ。その頃、日本にはそんな文化は全くなかった。友達の子供が遊びにきていて、ちょうどハロウィンの日にアメリカの子供たちが家々をまわってキャンディをねだる様子をみて、興味深々にしていたことを思い出す。ところがどうしてそうなったのか、今は日本でもハロウィンをやるようになっている。いつからそうなったのか?主に若者が渋谷なので仮装パーティーをやっているようで、テレビでも放送していた。警察がでていたり、ゴミが散らかっていたり。楽しいのか迷惑なのかわからない行事にみえる。アメリカとは違ってやたらと血塗りの人が多いような気がする。怖いイメージがあるのか?アメリカのハロウィンはもっと着飾っていて楽しいイメージだった。これは10年以上前の話だから、今はアメリカも変わっているのかもしれない。いずれにしろ、結局のところ、モノが売れるからのせられているのだろう。産業に一役買っているのだ。バレンタインもそう。チョコが売れるから、お菓子会社が流行らせたものだ。お返しの日の3月14日もお菓子会社が流行らせたもので、お返しをしない人は空気がよめないように言われる。チョコを送らなければ、失礼な会社にいるとしたら余計な出費になる。迷惑な話だ。お返しをしなければ、ケチだと言われる。これも迷惑な話。こうして日本人はうまくのせられて義理のために出費する。面倒な人種だと思う。ランドセルだって、かならず買う必要なんてない。そんな規則はないのに、ランドセルを買ってあげない親は親としてどうなの?という風潮がある。今のランドセルは色とりどりでとんでもなく高価。10万円ちかくするものもあるという。机だって、物置にしかならない小学1年生のために買う必要が本当にあるのか?結局リビングのテーブルでしか宿題はやらず、使うことがほとんどない机になってしまうのに。みんなと同じでなきゃ恥ずかしいという日本人特有の考えがずっと居座っている。多国籍のアメリカからみると理解できない文化なのだと思う。ひとりひとり違っていい、と日本でも最近は耳にするようになったけれど、相変わらずみんなと違うのは嫌な子供がほとんどなのだ。